新聞掲載記事

2004年1月4日 「働く。」サバイバル工場 第一部(3)

自ら育てた”ライバル”。「品質と納期で勝負」

「休み明けなので、納入品の確認をしっかりお願いします」。天草池田電機=天草郡松島町=の朝のミーティング。スタッフに声をかけたのは、生産管理課長の杉本祐一さん(47)=松島町=だ。
 「間接業務に人は割けない。ぎりぎりの人員でも、生産を支えるために頑張るしかない」。同課は受注と出荷を管理する。新会社設立に伴い、一人減となった。
 一昨年春に、同社の前身「オムロン天草」の工場閉鎖が発表された杉本さんはその直前まで、中国・深圳にあるオムロン現地工場で従業員の指導にあたっていた。「二年間の予定が一年に短縮され、悪い予感はあったが…」
 海外工場での指導は、いわば、ライバルを育てる仕事。海外シフトが進み、国際的なコスト競争が激しくなる中で、わだかまりも感じた。「この工場をきちんと育てなければ、オムロン全体が競争に負ける。そうなれば天草の仕事もなくなる」。そう自分に言い聞かせて赴任した。
 圧倒されたのは、現地従業員のパワーだった。「みんな地方から集まってきた二十歳前後の若者ばかり。いかに給料を高くもらうか、自己アピールもすごい。パソコンが扱えないのに自分はできると主張する者もいた」。豊かさをつかむ―。目標への強烈な意志が印象的だった。
 現地の仕事は、天草と同じ電子制御部品(リレー)の生産だったが、ほとんどが手作業だった。「こっちでは自動化された機械を使い一、二人でやる仕事を、三十人がかりでやっている。でも月給は一万足らず。そっちが安い」。価格競争では絶対に勝てない、と思い知らされた。
 天草池田電機の製品の中には、過去数年間で最大八割も海外生産に移管したものもある。賃金などの圧縮と新機種の生産取り込みで、何とか雇用を維持している現状だ。
 「どんなに特殊な製品でも、通常製品と同じように生産し、納品できること。品質と納期なら海外とも勝負になる」。日本だからこそできることを考え続ける。

「熊本日日新聞」

関連記事

TOP