新聞掲載記事

2004年1月16日 「働く。」第一部 サバイバル工場(14)

グラウンドから消えた歓声。野球部復活を夢見て

海からの北風が吹きすさぶ。天草池田電機=天草郡松島町=の敷地内にある野球グラウンド。バックネットの柱は、赤くさびついている。老人会のグラウンドゴルフに貸し出しているため、競技用の支柱があちこちに立ったままの状態だ。
 「左の強打者なら、道路まで飛ばしていましたね」。生産管理課の松本誠二さん(52)=同町=は、同社野球部の最後の監督だった。
 部員は十数人いた。「一昔前だったら、日曜日のグラウンドには歓声が響いたものでした。結構強かったんですよ」
 電子制御部品(リレー)の生産ラインをフル稼働させるため、男性社員は交代勤務が中心となり、夜勤と日勤を繰り返している。「みんなそろっての練習が難しくなり、休部したのは三、四年前。会社の厳しい状況を考えると、仕方ない」
 松本さんは現在、地元で草野球チームの監督を務める。「職場のチームが休部になったら、ぜひ引き受けてほしい」と誘われていた。バス運転手、役場職員、郵便局長―。さまざまな職業のメンバーが集まる。平均年齢は四十歳以上だが、ボールを追い掛けている時は、みんな少年のような表情になる。試合に勝っても、負けても、打ち上げのビールは最高だ。
 この楽しさを、職場の同僚たちとも分かち合いたいと松本さんは願う。「一緒に野球をやれば、互いにもっと分かりあえる。職場の活性化にもつながる」。いつか、野球部を復活させるのが夢だ。
 天草地区の誘致企業は現在十一社。年に数回、交流のためのレクリエーション大会を開く。かつて人気種目だったソフトボールや野球、九人制バレーは、今はボウリングやミニバレーなどに切り替わった。どこの会社も社員の高齢化や交代勤務などで、メンバー集めが難しくなっているためだ。
 大会に参加する企業自体も減った。天草池田電機に残る使用によると、天草地区では過去十五年間で四工場が閉鎖されている。不況、生産の海外シフトといった”北風”は地方の企業に冷たい。

「熊本日日新聞」

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