新聞掲載記事

2004年1月6日 「働く。」第一部 サバイバル工場(5)

頼るべき親会社はない。「もう甘えは許されない」

五日、電子制御部品(リレー)入りの段ボール箱が積み上げられた天草池田電機=天草郡松島町=の工場の一角。生産管理課の松本誠二さん(52)=松島町=が伝票と製品を照合し、丁寧にこん包作業を続ける。工場の最後の関門、出荷の担当だ。
 この日が初出荷。「はい、大阪分はラスト」。確認を終えた段ボール箱が次々に十トントラックに積み込まれていった。
 出荷時間のデッドラインは午後三時。限られた時間内で、種類や量を間違えないよう、確実に処理をしなければならない。三時過ぎ、安全祈願を終えたトラックが出発。松本さんは安どの表情を見せた。
 相次ぐ企業倒産など、新聞で知るニュースに不況を感じていた。製造業全体も冷え込み、「うちは大丈夫か」といった会話が職場でも聞こえていた。だが「まさか」との思いが強かった。親会社が、今の会社の前身「オムロン天草」を閉鎖すると発表した時、頭の中はまっ白になった。
 海外への生産シフトの加速は、地方の工場ものみ込んだ。「みんなで、ずっと頑張ってきたのに…」。自分の手が届かないところで時代が変化した無念さが胸の奥底にはある。
 幼いころ。叔父が着ていたオムロンの制服をよく覚えている。首都圏の大学からUターンして、叔父の後を追うように就職したときはうれしかった。入社二十八年目。
 オムロン天草を引き継ぐ新会社が設立され、雇用が残ったことには心底ほっとした。だが、年収は大きくダウン。「息抜きのパチンコや酒も、ぐっと減らした」。雇用形態も一年更新の契約社員に変わった。終身雇用の絶対的な補償はなくなった。あとは自分で頑張るしかない」
 新会社では、時間までに出荷処理が終わらず積み残しとなる製品を出さないために、伝票の前日処理が原則になった。オムロンの子会社時代は、積み残しがあっても何とかなる雰囲気があった。今の会社に頼るべき親会社はいない。「甘えは許されない」と思う。

「熊本日日新聞」

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