新聞掲載記事

「働く。」サバイバル工場 第一部1(1)

改善、改善、また改善
果てしなきコストダウン競争

 午前八時。その工場の朝は、フロアの数カ所で部署ごとに開かれるミーティングで始まる。
12月27日。生産ラインがフル稼働する年内最後の日も、いつもと同じような朝の光景があった。青い無盡(じん)の衣姿の男女が当日の作業手順を細かいところまで確認し合う。「最後まで頑張ろう」。責任者が声を掛けると、従業員たちはそれぞれの持ち場に散らばっていった。
 天草郡松島町の「天草池田電機」。家電製品に組み込まれる電子制御部品(リレー)を生産する。旧社名は「オムロン天草」。大手電機メーカー、オムロン(京都)の生産子会社だった。
 だが、親会社による「退路なき構造改革」の中で、真っ先に閉鎖の対象となった。競争相手が賃金の安い中国での現地生産を進めた結果、コスト競争が激しくなったためだった。親であるオムロン自体が、2002年3月期(連結)で大幅な赤字に陥っていた。
 その工場が残った。オムロン時代の最後の工場長、池田博嗣さん(56)=現社長=が「雇用を守りたい」と自らの出資による新会社設立を親会社に申し入れ、実現させた。オムロンからの生産委託続行も取り付けた。
建物や設備をそのまま引き継ぎ、再スタートを切ったのは2002(平成14年)7月。ちょうど創業から1年半になる。
残ったとはいえ、海外との厳しいコスト競争にさらされる状況は変わらない。むしろ、厳しさは増すばかりだ。
 工場内を慌ただしく歩き回る男性がいる。第二製造部・製造三課長の斎藤正文さん(46)。新会社になって新設されたコスト開発課長を兼務する。いかに品質を高め、いかにコストを削るか。両方のことができなければ、工場の明日はない。その責任が斎藤さんの方にズシリとのしかかる。「どんな要請にも応えていかざるを得ない」。パソコンで生産状況を確認する表情は常に険しい。
中でもコスト削減は悩ましい問題だ。発注先からのコストダウン要請は、昨年は10%減、今年は7%減だった。「どんなにギリギリの状況でも、さらに何らかの改善を積み上げて生産性を上げなければ」。少しでも改善する余地があると見れば、従業員に改善策をぶつける。「そればできない」と現場が反発することもある。丁寧に説明を繰り返し、説得する。
「複数の固定を組み合わせたり、動作距離を短くしたり」。そんな細かなことを朝から晩まで考え続ける。
 松島町出身。地元高校を卒業後、オムロン天草(当時は天草立石電機)に入社した。「地域の大企業」だった。28年間主に生産現場を歩いてきたが、バブル崩壊後は福岡でなれない営業を経験した。一昨年春に閉鎖方針が発表された時には「いやな予感はしていた」と振り返る。
新会社にそのまま雇用され、路頭に迷うことはなかったが、条件は厳しくなった。従来からすると、全社員平均で20%の大幅な賃下げ。加えて全員が契約社員という雇用形態となった。
契約は1年ごとの更新。不安がない訳ではない。会社の生き残りと、自分自身の生き残りが重なり合う。
「十年後に、国内の製造業はどうなっているのだろう。自分たちが生き残るために、何が必要なのかを見つけていかなければ」。果てしなきコストダウン競争に、改善、改善、また改善…。サバイバル競争が続く。

長引く不況―。県内でも厳しい雇用情勢が続いている。グローバル化のうねりは地方企業も巻き込む。大波にもまれながら、足元を見つめ直す人たち。今、「働くこと」への思いをたどる。

「熊本日日新聞」(報道部・岩瀬茂美)

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