新聞掲載記事

2004年1月10日 「働く。」第一部 サバイバル工場(9)

「3年勝負」の折り返し。自立へ技術の確立を。

「昨年は天草池田電機にとって、本当の自立への行動の年だった。今後の企業存続への布石を打つことができた」。五日の仕事始め。天草池田電機=天草郡松島町=の食堂ホールに集まった全社員を前に、池田博嗣社長(56)=同郡姫戸町=の年頭あいさつが始まった。
 同社の前身、オムロン天草の生産から一年半。雇用確保のために設立した新会社は、オムロンからの電子制御部品(リレー)の委託生産を続行。人件費の大幅圧縮や新機種の生産取り込み、コストダウンなどを重ね、黒字を確保している。
 「住宅ローンや教育費を抱える中高年層など、社員には大きな負担を強いたと思う。ただ会社の状況を考えると、精いっぱいのスタートだった」
 池田社長は松島町出身。振り出しは広島市の自動車メーカー、マツダだった。新車開発の施策チームに配属された経験がモノづくりの魅力にのめり込む原点となった。「国内製造行の空洞化を止めたい」という思いの背景には、夢を追い掛けた当時の仕事がある。
 天草池田電機の生き残り、そして自立への挑戦は「三年が勝負」と位置付ける。今が折り返し。だが、生産子会社から協力工場へと立場は変わったものの、受注や技術指導の面でオムロンへの依存は強いままだ。
 「リレー生産の海外移管は、今後どこまで進むか分からない。天草池田電機でなくては作れない技術の確立こそが、会社の発展につながる」
 昨年秋、「新しい経営の柱に」との期待を込めて、初のオリジナル商品を生み出した。アルミサッシ用防犯ブザー。商品名は「るすばん君」。しかし、量産化への道は緒に就いたばかりだ。
 「経済情勢はどん底から抜けつつあるが、モノづくりには中国の大東が絶えずつきまとう。危機感は今後も強く持たなければならない」
 年頭、池田社長は「もっと猿まねしましよう」と提案した。「ほかの会社のいいところは、どんどん取り入れよう。みんな何でも提案してほしい。一緒に考えよう。そこから何かが生まれる」

「熊本日日新聞」

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